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2020/12/31
改めて自己紹介⑦「家具リペア職人として目指していること」
大塚家具は新品の家具を販売する会社なので、古い家具は引き取って処分をします。
引き取ってきた家具はまだ使えそうなものばかり。
それが大量に処分されているのを毎日のように目にしていました。
その量はゴミ収集車、約4台分位はあったと思います。
初めてこの光景を見た時はショックを受けました。
実際に自分も粗大ゴミで家具を捨てた事はあります。
その時はシール1枚貼って、家の前に出すだけなのであまり心は痛みませんでした。
ただ、これが色々な家庭から集まるとそれなりの量になりインパクトがあります。
大塚家具の倉庫だけでも毎日ゴミ収集車4台分。
これが東京、日本、全世界で見たら家具だけで1日にどれだけの量が捨てられているのでしょうか?
「家具を直しながら永く使う文化を広めたい」
大塚家具で見た光景が、自分が家具リペア職人として目指すところを考えるきっかけになりました。
単純に家具を捨てなければ、燃やしたり、埋立地に埋める必要はありません。
家具を直しながら使えば、無駄に新しい家具を作る必要はなく、木も伐採しなくて済みます。
何より家具が親から子供、そして孫へと受け継がれていくという文化が広まれば、とても素敵なことだと思います。
ただ、「文化を広める」のはそう簡単ではありません。
自分の一生をかけた仕事です。
まだまだやる事、学ぶ事はたくさんありますが「家具が好き」で「家具リペア職人」の仕事に誇りを持っています。
そのような社会を目指し、日々精進していきたいと思います。
2020/12/30
改めて自己紹介⑥「大塚家具時代」
「修理をする『工房』という部署があるんだけど、そちらに興味はありますか?」
倉庫スタッフを募集していたので、それでもいいと思って応募し、受けた大塚家具の面接。
人事の方から驚きの言葉をかけてもらいました。
そもそも、大塚家具に修理工房があるとは知りませんでした。
半ば諦めていた修理の仕事ができるかもしれないので二つ返事で答えました。
次の面談で工房の責任者の方と面談をし、無事に採用していただける事になりました。
修理工房は主に木工、塗装、張替の3つの部署があります。
国内外、何百という家具メーカーの家具を取り扱い、修理内容も様々でした。
グラつき、脚カット、台輪カット、部材の作り直しなどの木工修理は、大型機械や様々な道具も揃っているので、構造的に可能であればほとんどの加工もやっています。
塗装修理は、ちょっとした傷修理から塗り直し、鏡面仕上げ、ソファの革修理まで塗装に関する事は何でもやり、塗装ブースも完備していたのでラッカー塗装、ウレタン塗装もやっていました。
張替もダイニングの椅子からソファまで、ミシンで縫製をしながらファブリックや革、藤の張替もやっていました。
大塚家具には2013年1月から2018年7月までの5年7ヶ月、働かせていただきました。
ここでの経験が家具リペア職人としての基礎を築き、本当に多くの事を学ぶ事ができました。
何より先輩方が凄かった。
木工職人、塗装職人、張替職人、皆それぞれが10年、20年のベテラン職人で今でも憧れであり、目標でもあります。
また、大塚家具で経験した事が家具リペア職人として将来やりたい事、目指すべき事が見つかった時期でもありました。
つづく
2020/12/30
改めて自己紹介⑤「木工所時代」
北欧ヴィンテージ家具屋の次に働いたのは川崎にあった木工所でした。
店舗の什器や内装、展示会のブースを製作する会社です。
やはりまだまだリーマンショックの影響から家具職人、家具リペア職人の求人は少なく、「生活ができて木工関係の仕事」と条件を下げて選びました。
家具とは少し違う仕事でしたが、色々な機械や道具を使い、木工の奥深さを学びました。
工場で壁や天井、カウンター、看板などを作り、それを現場で組み上げていく。
夜中までの仕事や徹夜もよくあり、大変ではありましたが東京モーターショーなど大きなイベントの舞台裏も見れて、とても良い経験になりました。
ただ、当時は悔しさや葛藤の日々でもどかしい時代でもありました。
展示会の仕事は、出展するメーカーがデザイン会社にブースのデザインを発注し、それを木工所が製作、設営します。
自分達はいわゆる下請けです。
ほとんどのメーカーやデザイン会社の人は良い人達でしたが、中には自分たち下請けの職人を下に見て、蔑んでくる人もいました。
職人を舐めている。
世の中にある「もの」は、全て職人が作っている。
職人の地位を上げたいと思いました。
その為には、職人自身も成長しなければいけない。
それは技術や知識だけでなく、教養、センスなどもそうです。
まだまだ実力が伴わない28歳の若者。
悔しさと「今に見てろ」という反骨心の塊でした。
将来、独立する、という目標を持ちつつ、ビジネス書や家具、歴史の本を読み漁り、仕事では盗める技術、知識は身に付けようと貪欲に学んでいた記憶があります。
ただ、必死で働き、学びながらも心の中で家具に触れ合いたい、家具の仕事をしたいという葛藤が常にあり、色々な家具の求人を見ては悩んでいました。
木工所で働いている時に結婚し子供も産まれました。
家族も守らなければいけない。
このタイミングで転職して良いのか?と自問する中で、やっぱり自分は家具が好きだと思い、家具の仕事をしようと思った29歳の冬、転職を決意しました。
今回は「職人」にこだわらず、「家具」の仕事ができれば何でも良いと思い、色々探している中で見つけたのが大塚家具でした。
今でこそ「親子喧嘩」であまり良くないイメージはありますが、それでも家具業界の大手。
取り扱っている家具も国内メーカーから輸入家具まで数多くあり、おそらく日本で1番の取り扱いだと思います。
それこそ北欧家具も取り扱っています。
ちょうど倉庫スタッフを募集していたので、職人としては働けないけど、家具業界のことや色々な家具のことを学べると思い応募しました。
応募して、慣れないスーツを着て受けた1次面接。
人事の方から願っても止まない驚きの言葉をかけられました。
「修理をする『工房』の部署があるんだけど、そちらに興味はありますか?」
つづく
2020/12/23
改めて自己紹介④「家具リペアを生涯の仕事にする」
北欧ヴィンテージ家具屋で働いていた時期は、北欧家具との出会いと共に「家具リペア」を生涯の仕事にしよう、と決心した時でもありました。
理由は「とにかく楽しかった」からです。
お店に入荷した家具は、ほとんどが破損していたり、傷や染み、汚れがあり、そのままの状態では商品になりません。
同じデザインのものでも壊れ方が違い、それを一つ一つ、どういうやり方でリペアするのかを考えながら直していきます。
毎回のリペアが勉強であり、新しい発見の連続でそれがとても楽しいのです。
また、壊れていたものが直り、汚れていたものが綺麗になる、それがとても快感でもありました。
ふと思い返すと、子供の時に同じ感覚を味わった事があると思いました。
小学生の頃、母も仕事で家に居ないことがあり、洗濯物を畳んだり、食器の洗い物をするように言われていました。
正直、やるまではめんどくさいのですが、やり始めると何かのスイッチが入り、洋服の角や向きをしっかりと揃え、我ながらとても綺麗に畳んでいたと思います。
食器洗いもお皿やシンクの中が綺麗になっていくのがとても心地良く感じていました。
中学・高校時代ではサッカー部に所属していたのですが、1年生はボール磨きの仕事があります。
周りの友達はめんどくさがっていましたが、表向きは周りと合わせつつ、内心は汚れているボールが綺麗になっていくのがとても楽しかった、という記憶があります。
家具リペアもそれと一緒で綺麗になっていくのがとても楽しいのです。
また「自分に向いていた」ということもあります。
はじめは家具を作る家具職人になりたいと思い、訓練校で家具を作ることを学んでいましたが、正直、自分に向いているのかと疑問に思う時もありました。
アイデアを出して作る大変さ。
すでにある「良い家具」よりも良いものを作れるのか、という葛藤、疑問。
リペアの仕事を始めて、自分には作る仕事よりリペアの方が向いていると実感しました。
ただ、いくら「楽しい仕事」「向いている仕事」とはいえ大変なこともたくさんあります。
技術や知識は急に身に付く訳ではありません。
上手くいかない時は、悩み、失敗すればヘコみます。
何よりブルーカラーと言われる職人の仕事は収入は多くありません。
とにかくお金はありませんでした。
生活するためにはお金は必要です。
アルバイトということもあり、正直そのままここで働くのは厳しいと思い、入社して1年後、転職をしました。
つづく
2020/12/15
改めて自己紹介③「北欧家具との出会い」
職業訓練校を卒業した2009年、吉祥寺にある北欧ヴィンテージ家具屋にリペアスタッフとして就職しました。
就職するまでは北欧家具に対して知識もなく、興味もありませんでした。
本当は家具を作る仕事をしたかったのですが、リーマンショックの影響もあり求人が少なく、「職人」として働けるだけでありがたい、という思いでリペアの仕事を選びました。
ただ、就職といっても社員ではなくアルバイトとしての雇用です。
リペアの仕事だけでは生活するのは厳しく、昼間はリペアの仕事、週に2、3日は夜に運転代行のアルバイトを掛け持ちでやっていました。
しんどい時期でしたが、 ここでの経験がその後の自分の人生を大きく変えました。
それは「北欧家具」との出会いと「家具リペア」を生涯の仕事にしようと決心したことです。
なぜ北欧家具が好きになったのか?
今まで家具に対しては家で使う「道具」という目線でしか見ていませんでした。
家具職人に憧れたのも、家具が好きというよりは「職人」に興味を持ったからです。
それが北欧家具を目にして、初めて家具がカッコいいと思えたのです。
なんと言ってもまずはデザイン。
理由など無く、パッと見た時の印象、佇まいがただただカッコ良かった。
そして、デザインだけでなく、伸長式のテーブル、人間工学に基づいた椅子の座り心地など、使う人のことを考えた機能性。
当時27歳だった若い人間でもカッコいいと思える家具が、戦後すぐの約60年前に作られているという北欧家具の歴史。
自然でしか作りだせない木の経年変化したなんとも言えない木の質感。
知れば知るほど、北欧家具の魅力に引き込まれていきました。
つづく。