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2019/10/29

自分

職人を目指し、職業訓練校に行っていた時、周りに上手い子がたくさんいた。

 

負けたくないと思い、必死で練習し、夜は家具職人の工房へ見習いに行っていた。

 

会社に勤めていた時は、上手い先輩がたくさんいた。

 

怒られながら、認めてもらいたいと必死でやっていた。

 

他人と比べる。

 

人にどう見られるか。

 

もちろんそれが大事な時もある。

 

でもそれは時に意味の無い見栄、プライドになり自分の成長の妨げになる。

 

どんな人間になりたいか、どんな職人になりたいか、理想の人間、職人像は自分の中に見えている。

 

あとはそれに向かって日々、自分と戦い、昨日の自分より少しでも成長するように頑張るだけ。

 

最大の敵は自分。

 

 

「あれになろう これになろうと焦るより 富士のように黙って 自分を動かないものに 作り上げろ」

                                    

 吉川英治作 「宮本武蔵」

 

 

 

 

 

 

2019/10/14

家具を修理するという事

家具の修理は奥が深い。

 

同じメーカー、デザインの家具でも全く同じ修理をしたことはない。

 

壊れている所が違ったり、木目も全然違う。

 

そこが家具修理の魅力でもある。

 

毎回が新しい。

 

毎回が勉強。

 

失敗も何十回、何百回しただろうか。

 

ただ、その失敗が引き出しとなり次の仕事に生かされる。

 

このやり方ではできない、このやり方とこのやり方を合わせてやってみよう、と。

 

職人の永遠のテーマ、「早く、正確に」「早く、綺麗に」。

 

たぶん、死ぬまでゴールは無いだろう。

 

職人である限り常に追いかけるのだと思う。

 

仕事をしていていつも思う事がある。

 

「これでいいのか?間違っていないか?」と。

 

不安、恐怖に襲われる時もある。

 

そんな時、本で見つけたある職人の言葉を自分に言い聞かせる。

 

 

「完璧という事はない。ではどうするか? 精一杯の事をするしかない。心を込めて仕事をする。」

 

 

 

2019/10/09

決断

2018年1月、僕達夫婦は大きな決断をしました。

僕は35年間生まれ育ち、妻は13年過ごした東京を離れ、妻の地元である愛媛県松山市に移住することを。

 

決断するまでは悩みました。

 

2人目の出産。

上の子の小学校入学のタイミング。

今の仕事を続けながら東京に残った方が良いのか。

愛媛に行っても今までやってきた家具修理の仕事はあるのか。

東京にいる両親は今は元気だけど、今後どうするのか。

 

色々な事を考えなければならず、なかなか決断できませんでした。

どちらが正解という訳でもなく、誰かが答えを出してくれる訳でもない。

自分達で決めなければいけない。

 

子供が寝た後、夜な夜な妻と2人で答えが出ない話し合いを何日もしました。

 

長い間、悩み抜き、ようやく答えを出しました。

 

『移住しよう』と。

 

決めては僕達夫婦の『夢』でした。

 

26歳で家具職人の道を歩み始め、いつかは自分の工房、お店を持ちたいと思い、2人で夢を語り合っていました。

 

友達も知り合いもいない。

上手くいくかどうかも分からない。

不安だらけでしたが、最後は「やってみないと分からない」と腹を決め、移住・独立に挑戦する事にしました。

 

そうして、

2018年3月、妻と長女が先に松山へ。

仕事の都合で遅れる事2018年8月、会社を退職し松山へ。

2018年10月、家具修理の仕事で独立し、新しい生活が始りました。

 

 

 

「為せば成る

 為さねば成らぬ何事も

 成らぬは人の為さぬなりけり」  上杉鷹山

 

(強い意志を持って事に当たれば、大抵のことはなし得ることができる、という意味)

 

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