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2020/12/15
改めて自己紹介③「北欧家具との出会い」
職業訓練校を卒業した2009年、吉祥寺にある北欧ヴィンテージ家具屋にリペアスタッフとして就職しました。
就職するまでは北欧家具に対して知識もなく、興味もありませんでした。
本当は家具を作る仕事をしたかったのですが、リーマンショックの影響もあり求人が少なく、「職人」として働けるだけでありがたい、という思いでリペアの仕事を選びました。
ただ、就職といっても社員ではなくアルバイトとしての雇用です。
リペアの仕事だけでは生活するのは厳しく、昼間はリペアの仕事、週に2、3日は夜に運転代行のアルバイトを掛け持ちでやっていました。
しんどい時期でしたが、 ここでの経験がその後の自分の人生を大きく変えました。
それは「北欧家具」との出会いと「家具リペア」を生涯の仕事にしようと決心したことです。
なぜ北欧家具が好きになったのか?
今まで家具に対しては家で使う「道具」という目線でしか見ていませんでした。
家具職人に憧れたのも、家具が好きというよりは「職人」に興味を持ったからです。
それが北欧家具を目にして、初めて家具がカッコいいと思えたのです。
なんと言ってもまずはデザイン。
理由など無く、パッと見た時の印象、佇まいがただただカッコ良かった。
そして、デザインだけでなく、伸長式のテーブル、人間工学に基づいた椅子の座り心地など、使う人のことを考えた機能性。
当時27歳だった若い人間でもカッコいいと思える家具が、戦後すぐの約60年前に作られているという北欧家具の歴史。
自然でしか作りだせない木の経年変化したなんとも言えない木の質感。
知れば知るほど、北欧家具の魅力に引き込まれていきました。
つづく。
2020/12/08
改めて自己紹介②「職業訓練校」
自分は一体何がやりたいのか?
24歳の時、先が見えず悶々としながら、自己啓発本、歴史小説など色々な本を読み漁りながら自分探しをしていました。
「三国志」を読んでは趙雲子龍(ちょううんしりゅう・※脇役の登場人物)に憧れ、「竜馬がゆく」を読んでは坂本龍馬のような生き方をしたい...。
そんな将来について悩んでいた時に出会ったのが1人の家具職人の方でした。
当時勤めていた会社の商品である、雑誌などの撮影や展示会にレンタルする家具は、撮影スタジオなどでよく動かすということもあり、しょっちゅう壊れることがありました。
素人ながらに直そうとするも綺麗には直らず、会社の知り合いでもあった家具職人の方へ修理を依頼していました。
その方の工房は、廃校になった小学校の図工室だった所で、初めて見た時、心が躍ったことを覚えています。
見たこともない機械、道具の数々。
工房の中に充満した木の匂い。
職人の方の作業する姿、そして工房で淹れるコーヒーを飲みながらの一服する姿がとてもカッコよく、何より自分だと綺麗に直せなかった壊れた家具を生まれ変わったように直すのを見て、自分も家具職人になりたい、と思いました。
どうすれば家具職人になれるのか?
色々と調べて「職業訓練校」という存在を知りました。
家具を作るための基本的な技術、知識が学べ、しかも1年間失業保険をもらいながら学べる。
まだまだ転職というのがあまり良いイメージではない時代です。
正直、葛藤もありましたが「行こう!」と決断しました。
職業訓練校に入るためには試験と面接があり、今までろくに勉強してこなかったので中学校の数学の勉強を必死でやりました。
そうして運良く、2009年、26歳の時に品川にある職業訓練校の木工技術科に入り、1年間家具作りの基本を学ぶことになりました。
訓練校ではノコギリや鉋、ノミなどの手工具や機械の使い方、木材をはじめ材料、製図、家具の歴史など家具を作る上での基本的な事を数多く学びました。
訓練校に行き3ヶ月ほど経っってからは、授業が終わった後、憧れでもある家具職人の方の所へ見習いとして工房に通い、夜中まで仕事の手伝いをやっていました。
もっと上手くなりたい、もっと知りたいと新しいことを日々学んでいましたが、今振り返り「楽しかったか?」と思うと辛かったことの方が多かった気がします。
訓練校の同期は30人いて、技術が上手な人はたくさんいました。
技術を身につけたいと思って刃物の研ぎや加工などの練習をしてもすぐに上手くなるわけではありません。
なかなか技術が上手くならない、という悔しさやもどかしさもありましたが、何よりお金が無いのが辛かった。
失業保険をもらえると言っても、同年代の給料と比較したら6、7割位しかありません。
家賃と日々の食費、生活費、定期代でほぼ無くなります。
大学の同期は社会人になって4年目位なので、給料も少しづつ上がり、スーツもちょっと良いものを買ったり、飲み会に行ったりととても羨ましく思っていました。
お金が無いので飲み会はほとんど断り、友達と会う時も、当時妻と同棲していた尾山台という所から渋谷や新宿まで、電車で30分位のところを自転車で行ったりしていました。
あの時はまわりの同年代への劣等感を持ちつつ、「家具職人になりたい」という思いで必死だった記憶です。
そんな思いを持ちつつ、1年間訓練校で学び、いざ就職をしようと思っていましたが、ちょうどリーマンショックが起きた後だったので就職先がほとんどありませんでした。
例年なら家具職人の求人がたくさん来るみたいだったのですが、その年は数件。
訓練校の同期も自分の知る限り30人中、半分位は違う仕事に就いたと聞きました。
自分は家具職人の求人をネットやハローワークで探していたのですが、なかなか見つからず、たまたま見つけたのが「北欧ヴィンテージ家具のリペアスタッフ募集」の求人でした。
当時は家具を作る仕事をしたいと思っており、まだ北欧家具のこと、そして今では本業でもある家具のリペアという仕事の魅力も分かりませんでしたが、背に腹は変えられず、吉祥寺にある北欧ヴィンテージ家具屋さんに就職することになりました。
つづく...。
2020/12/04
改めて自己紹介①「家具職人になる前」
日本だけでなく、世界中が大混乱となった2020年。
今年も残すところ、1ヶ月を切りました。
移住、独立をして丸2年が経ち、お店を始めて1年半。
お客様をはじめ、色々な方に支えていただき、何とかここまでやってきました。
自分自身の今までを振り返りつつ、遅過ぎですが改めて自己紹介をしようと思います。
現在、愛媛県松山市の三津という港町にある古い倉庫で、北欧家具の販売と家具修理のお店をしているTukuroiの高橋と申します。
1983年(昭和58年)生まれの37歳。
岡山出身の父と岩手出身の母の元、東京の杉並区「井草」という町で産まれ育ちました。
生まれた時は4000gあったらしく、とにかく昔から背がデカかったです。
小学校6年生の時点で170cmあり、多感な時期でもある当時は、背が高いことがコンプレックスでした。
子供料金でバスに乗ろうとしたら運転手さんに止められ、制服の半ズボンやランドセルがとにかく似合わなかった。
今でこそ背が高いことを気にしなくなりましたが、たまに街中で背が高い人を見かけて「うわっ、でけっ」と思ってすれ違うと、自分の方がデカい時があり、「俺もでけっ、って思われているんだろうな」と思う時はあります。
「背が高いからキーパーをやれ」と小学校2年生の時にサッカー部の監督に誘われて始めたサッカー。
当時、Jリーグが開幕したこともありサッカーに夢中になりました。
キングカズが全盛期で、周りも自分もサッカー選手に憧れ、高校で背が今と同じ187cmあり、身長だけは世界レベルだったので本気でサッカー選手を目指していました。
ただ、高校、大学になると上手い人、身体能力が高い人は山のようにいて、それこそプロになる人はズバ抜けて上手かったので、圧倒的な差を感じた大学2年生でサッカー選手になる夢は挫折しました。
その後、目標も無く、ろくに勉強もしてこなかったので、就活は大手企業を受けるも全滅。
卒業論文は「スターバックスとドトールの比較」というよくあるテーマで、しかもコピペ。
挙げ句の果てには、なぜか取っていたスペイン語の単位が1単位足りず、大学を半年間留年しました。
大学卒業後は歌舞伎町にあった映画館でバイトをしながら自分探し。
免許を取りたてだったので車の運転がしたい、という理由だけで、雑誌の撮影や展示会などに家具や雑貨をレンタルする会社に就職しました。
毎日ハイエースに乗りながら都内を走り回り、撮影スタジオや展示会場に納品する日々。
それはそれで楽しかったです。
ただ、このまま40歳、50歳まで同じ仕事をするのか?
と考え始め、自分は何がやりたいんだろうと悩んでもいました。
つづく…。
2020/09/15
ラウンジチェア CH25

ラウンジチェア「CH25」。
自分が尊敬するハンス.J.ウェグナーがデザインし、1950年にカールハンセン&サン社より発表された。
今年の5月からカール・ハンセン&サン社の家具を取り扱わせていただける事になり、初めて「CH25」を生で目にした。
第一印象は、ただただ佇まいが美しい。
威風堂々とした存在感。
それでいて座る人をそっと包み込む様な優しさも感じられる。
見ているだけでも癒される。
座ってみると、座面と背もたれの横の部材が緩やかな曲線を描き、絶妙な座る角度、そしてペーパーコードの程良いしなりが優雅な座り心地を与えてくれる。
また、幅の広い肘掛けが腕を置いた時に安定感と優しい木の質感を感じられる。
ウェグナーの家具は見れば見るほど細部にまでこだわって作られている。
元々、家具職人だったウェグナー。
木の特性、家具の構造を熟知しているからこそ、デザインありきではなく、強度や技術的に効率良く作れるかどうかなど、あらゆる角度から見てベストなデザインをしている。
ウェグナーの家具を観察している時、「ここはおそらく、こういう思いで作ったのだろう」、「何故、このような形にしたのか?」と今は亡きウェグナーと会話している気持ちになる時がある。
CH25はウェグナーの「思い」を大切にしながらカール・ハンセン&サンの職人の方々が、1950年から約70年間、途切れる事なく作り続けている。
効率良く機械で加工できる所は機械を使う。
ただ、機械も職人の知識、経験が無いと上手く扱えない。
そして、最後の仕上げは職人の目と手で感覚を確かめながら仕上げていく。
座面と背もたれのペーパーコードは熟練の職人でも1脚仕上げるのに10時間もかかると言われている。
CH25には別の楽しみもある。
新品のオーク材は少し白っぽい。
それが使い込んでいくうちに太陽の光などで木が経年変化して色が少しづつ飴色に変わっていく。
自分で「ヴィンテージ」を育てていくのだ。
※写真はCH25ではなく、同じオーク材のGE290Aのヴィンテージ(奥がCH25)
自分でもCH25を十分に満喫して、ヴィンテージになったら子供に受け継ぐ。
そんな人生を送りたいと妄想しながらCH25に座り、気持ち良くブログを書いた。
2020/08/04
北欧家具の魅力
北欧家具の魅力とは何なのだろう?
最近、北欧家具の魅力とは何かを改めて考えてみた。
シンプルでモダンなデザイン、機能性、座り心地、木の質感…。
自分も約10年前、北欧家具と出会った時は、まずはその「デザイン」が
ただただカッコいいと思い、魅力を感じた。
そして実際に座ってみて、使ってみて、さらにのめりこんでいった。
ただ、北欧家具以外でも、似たデザインや座り心地、機能性の良い家具は他にもある。
北欧家具だけの魅力とは何なのか。
毎日、北欧家具を眺め、本などで調べていき感じたことがあった。
それは「本物」ということ。
本物にしか出せないオーラ、風合い、佇まい。
その家具から感じるデザイナー、職人の思い。
そして約70年という長い間、大切に使い続けてきたデンマークの人の思い。
目には見えないが、決して真似できない、確かに感じるその思いが、北欧家具の魅力の一つでもあると
最近思った。